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作編曲家として活動をするまで③~新聞奨学生についても書いてます~

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私ねこ音の今までの軌跡です。他愛もない話しもあるので興味のある方だけ見てください(笑)

昔の音源

音楽をやっている方なら一度は昔の音源を引っ張り出して聴いたことがあるのではないでしょうか。私のも数年前まではたまに聴いては懐かしんでいました。

自分のレベルが上がったな~と実感できることが嬉しくて。

残念ながらその音源はなくしてしまいもうあまり覚えていないのですが、「とにかく酷い」という事だけは覚えています(笑)

ドラムが右側にいる!?

ほとんど忘れてしまっている中でもいくつか酷いことだけは覚えているので書いてみます。

ドラムって基本的に中央付近にいますよね。その中で、シンバルが左右にいたり、タムが左右どちらからから流れるように配置されたりしています。しかしですね、当時の私は「ドラム全てが右にいる」という訳のわからないことをやっていました!

今考えたら意味が分からないですね(;’∀’)

本か何かで「各楽器をLRに振って広がりを出す」とかいうのを見たんだと思うのですが、意味の捉え違いってやつですね~、残念な状態でした。。。

メインボーカルが左に、ハモリが中央に!?

これまたなんでやねん!!って感じですよね(;’∀’)でも当時の私はそれでオッケーとしていたのでしょう。昔の音源はそれで完成にしているわけですからね、、、恥ずかしい限りです。

そしてまだCDがメインだった時代なので、CDを作って路上ライブの時に配ったり色々していましたが、本当に恥ずかしい音源を配っていたなと今でも凹みます。

ストリングス系が一つのトラックで全部中央にいる!?

もうボーカルの邪魔でしかないですね(笑)ボーカルを引き立てるための編曲なのにその本質から完全に外れてしまっているようなことばかりしていました。。。

しかも、第一バイオリン、第二バイオリン、ビオラ、チェロ、(コントラバス)を分けるという概念もまだなかったせいで全て1トラックに。そして、ただただコードを弾いているだけ!困ったものですね~。当然対位法なんてものは皆無(笑)

で、今は?

もちろんそんな事はしませんよ(笑)やるにしても、アクセントとかで違和感を狙ってやりますが、それもただただ単純にやるなんてことはありません。

すべてに関してプロとしてやらせて頂いていますので、とことん知識と技術は身に着けてきています!とは言え、音楽は人それぞれなのでたまに色々言われる事もありますが、大多数の方は褒めてくださります☆

どうやって勉強してきたか

基本的には独学です。うちは決して裕福とは到底呼べない家庭だったので音楽家を目指すなんて言えなくて(;’∀’)高校卒業で一度社会に出ているのですが、その時に仕事帰りや、休みには図書館に行って作曲や編曲の本を徹底的に借りたりしてノートに写し、実践して というのをひたすらやっていました。

ついこの間までそのノートは思い出として引っ越すたびに持っていましたが見る事もなかったので処分しました。写真でも載せようかと思ったのですが。

そのあとは、専門学校へ。

「えっ?お金あるじゃん!」と思った方違うんです。新聞奨学生という制度をご存じでしょうか?2年間住み込みで新聞配達をすると学費を全て新聞社が出してくれるという制度を使ったんです!

新聞奨学生はどうだったか?

もしこれを読んでくれている方で音楽に限らず新聞奨学生を利用しようとしている方がいたら少しは参考になるかもしれないので書いてみます!

私が利用させて頂いていたのは【朝日新聞奨学生】です。最近、朝日新聞を色々いう方がいますがそこはひとまず置いといてください( ̄▽ ̄;)

とりあえずキツイ!!

もうやる前から考えたらわかると思いますが、かなりキツイです。仕事は配属先によって自転車だったり、バイクだったり変わります。

私のルーティンはこんな感じでした!

①毎日夜中1:30起床

②チラシを折り込んだり準備をして2:30頃頃から配達開始

③6:00頃には終了し戻る

④朝ごはんを食べて学校へいく準備をする

⑤8:00頃学校へ出発

⑥夕刊配達があるので15:00には学校を出る→本当はこの後に受けたい授業があったのですが時間的に無理でした。。。

⑦新聞店に戻り夕刊配達

⑧戻ったら翌日のチラシの準備

⑨終わったら夕飯食べて

⑩22:00頃から課題をやって

⑪24:00就寝

と寝る時間は2時間あるかないか。。。住み込みなので新聞店の狭い部屋で毎日過ごすという正直地獄。。。でも自分で選んだとなんとかやっていました。

最初の1か月は冗談じゃなく泣きながらやっていました(笑)

いや~繰り返しですが、本当にキツくて最初は途中からバイクになったので楽になりましたが、最初は自転車で320件を配っていました。台風やら雨やらの日は本当に泣いていました。(後から聞いた話ですが結構いるみたいです、泣く人)

中学校から高校卒業まで実家でも新聞配達をやっていたので大丈夫だろうと思っていましたが舐めていましたね。。。

地域はどこ?

私が配っていたのは浅草付近です。たまに当時いた新聞店があるところを通りますが、今はもうなくなってホテルになっていますね!

知っている方は知っているかもしれませんが浅草のバンダイ近くに「どぜう」というお店があるのですが、そのお店の道路はさんで反対側にいました!

最初はクレームの嵐

ちょっと音楽に関係なくなっていますが、せっかくのなので思い出話をかいておきます。最初の1か月は慣れないこともあり、終わるのが朝9:00過ぎ・・・。新聞店にはまだ来てないとクレームの嵐で毎日怒られていました。

そりゃそうですよね、サラリーマンの方とか行く前に読みたいのに届いてないのですからクレームになりますよ。。。

2か月目からは慣れた、バイクに変更

2か月目になると毎日同じルートを回っているので、覚えてしまいます。こうなるともう今までの苦労はなんだったんだという感じになっていました。そして、高校の時に免許を取っていたこともあってバイクでの配達に変更になりさらに早く終わるようになりました。

一番遅かったのが、一番早く終わるまでに成長(笑)

まぁでも寝不足のキツさは続きますがね。。。

利用を考えている方へアドバイス

「集金業務があるコースはやめた方がいい」

奨学生にはコースによって補助される金額や、もらえる給料が変わってきます。集金があると給料が高くなるのですが集金はオススメできません!

なかなか払ってくれない人がいたり、居留守使われたり、夜中に行かないといなかったりと散々でした。今はできるのか分かりませんが、私の時は新聞店の相談の上、コースの変更ができたので3か月目で集金は辞めました!新聞配達やるために来たのか、学校行くために来たのかわからなくなりますよ!

学校を辞めてしまう人も・・・

これは最初から聞いていましたが、あまりのキツさに学校を辞めてしまう人も結構いるようです。キツいからと言って新聞配達を辞めてしまえば学費を払えないわけですから必然的に学校を辞めることになってしまいますよね。。。

精神論は嫌いですが、こればっかりは「強い意志と根性がないと続きません」

軽い気持ちでやろうという方はいないとは思いますが、どんなに苦労しても頑張るという意志を持ち続けられるか真剣に考えてからの方がいいですよ!

学費も出してもらえて、給料も出してもらえる

これを考えたらキツイ事は容易に想像できますね(笑)

新聞奨学生を乗り越えると

かな~~りキツイ新聞奨学生ですが、乗り切ると自分自身が色々と成長できます!これは私が経験しているので本当です!

成長できるといってもおそらく自分では気が付かないでしょう、何気ない時に多少の苦労を苦労と感じないのです。これ社会に出るとすごーーーーーくありがたいスキル?ですよ!

真剣に考えてる方はこういうところも考えるといいですよ!

ナオ~(=^・^=)

今回は音楽の事からかなり脱線しましたが、私の軌跡という事でお許しください!お金がないから勉強できない、夢を諦めないといけない。そう思っている方がいたらネットで色々と調べてみてください!返金が不要な奨学金制度が色々あります。

「どうせ自分はダメだろうな」なんて思わずに応募してみるといいですよ!

なんだかんだ、今じゃいい思い出になっています!やっている時はつらいかもしれませんが、乗り越えて数年経つとやっててよかったと思える時がきっとくると思いますよ!

返済しなければいけない奨学金を借りて学生時代を楽するのか、新聞奨学生などを利用して学生時代を頑張って社会に出たときに楽しく暮らすかどちらかですね!

私はぜったに後者です!

とはいえ、2年目で体を壊し、利子なしでしたが奨学金で乗り越えていきますので機会があればまた書きますね!

ねこ音の軌跡②はこちらからどうぞ☆

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